いまはスケチャリ屋店主をやっていて、日々堕落した生活をしてブクブクと
肥えておりますおれごときですが、
じつはメッセンジャーとして走ってた時期がありました。
2007年の11月から2012年の2月まで。
その間に撮ってきたメッセンジャーと彼らの愛車の写真です。
この上の写真は、オンナノコメッセンジャーのSAMSONだったなたしか。
事務所に転がってたパーツを付ける、
仲間からもらったパーツを付ける、
カネがないからしょうがない。でもここだけはこだわりたい。
そういう中で、作られたんではなく生まれてきたメッセンジャーバイクを
おれは愛して止まないのです。
まとまっていない、チグハグなカンジな、
狙ってないけど必然をカンジさせる、走りのプロの商売道具。
CPWで作る自転車の多くは、こうしたメッセンジャーたちが乗っている
自転車にかなり大きな影響を受けてるとボキは思う。
雨の日や路面ウエットのなかでも走るメッセンジャーたち。
そんなカレらがむかしから愛用してたのは
フラミンゴフェンダーでした。
取り付けたり外したりするのにいちいち工具がいらない。
安いしね。
そして他のフェンダーと比べると断然カッコイイ直線的シェイプ。
ピストによく似合うのです。
一時期廃盤になりましたが、めでたく復活w。
CPWで買えます。
メッセンジャーは基本的にチャリ好きばかり。
スキじゃないとやってられないよねw。あんな仕事。
これは当時DATで走ってたFESSノブオくんのVIVALO。
ブレーキレバー位置に注目w。
フランス人メッセンジャーのマチュは
ピストのイメージが強いのかもしれんけど、2008年の夏はまだロード乗ってたな。
こんときまだ話したことがなかったんだよね。
通りすがりの一瞬のヒトコマ。
日比谷の交差点にて。
クーリエサトシくんはかっこよかったなあ。
カレの持つ独特な負陰気、おれはとてもスキだったなあ。
朗らかだったし!
日比谷通りに面した国際ビルの玄関先で待機してたら
このドシヴなPRESTO乗ってきたときにはじめて話した。
おれはひとみしりだもんで、ずっと前から気になってたサトシくんに
話しかけてもらって、すごいうれしかったんだよねwww(^^)
いまもうメッセンジャー辞めちゃったらしいんだけど
どっかでゲンキでやっててもらいたい。
2008年の春。
南朝鮮の大統領だかだれだかしらんけど
反日国家のボスがこのとき東京に来ていて、
そいつのせいで内幸町の交差点が一時封鎖されたんだよね。
こっちは荷物もって急いでるのに封鎖されてイライラしてたときに
となりでのんびりとそいつらが行くのを待っていたのが
ピンクのピストに乗ったカレでした。
「いらつきますなこいつら。」
「まーまー。もうすこしでいなくなるでしょう。」
「よく路上で走ってる姿をお見かけするのですが、お名前はなんていうのですか?」
「サイクレックスの鬼ヘイっていいますw。」
鬼ヘイさんの走りは、メッセンジャー白帯だったおれからみると
まさに茶帯黒帯レベルの走りをされておりまして、
カレの力強い踏み方を観てると、ほうほう。。。と思わずうなってしまうような、
そんな鬼ヘイさんでした。
御成門の交差点にて。
Tのメッセンジャー。
おれが所属していた会社はとくにヘルメットをカブれとかって言われることもなく
いつもノーヘルでおれなんかは乗ってたんだけど
会社によっては制服支給されたりヘルメット義務があったりと。
そんな規則のなかでも自分のスタイルを崩さずになっているように見えた
このカレはおれはカッケーと思っておもわず写真に収めたのよね。
スケボーのヘルメットにVANSを履いて競輪ピストに乗ってるメッセンジャー。
おれはすっきゃねん。
リアブレーキキャリパーを前後逆さまにマウントするっていうのも
こーゆーメッセンジャーたちの粋なアイデアだったんだと思うと胸熱。
自称メッセンジャー界のベッカムw。元DISPAのゆうすけ。
そう、ゆうすけもメッセンジャー辞めちゃったらしいなあ。
おれはカレのケツについて、東京のダウンタウンの走り方っていうものを
教わった気がする。
やさしい顔したイケメンでチャラチャラしてるように見えて、
走りはかなりストイックでハードコアで貪欲なものがあったな。
三宅坂の交差点と内幸町の交差点のおまわりガン見をガン無視しての
赤信号突破はこの男に教わったwww。
さて、伝説な一台。
世界一速いメッセンジャー、SINOくん。
2007年の暮れ当時にカレが乗っていたカラビンカ。
おれはカレのことを当時ピストバイブルとかいう本で知って
それでメッセンジャーっていう仕事に興味を持ったんだよね。
そんなカレのピストが東京駅のサウスタワーの下に停まってた。
このオーラwww。ハンパじゃないwww。
ブレーキキャリパーは付いてるけどブレーキレバーがない
ダミー仕様はもしかしたらSINOくんが初めてだったのかもwww。
マチュもやってたなw。
こんときおれはカレを出待ちしたんだw。話したくてw。
キミに影響を受けてメッセンジャーを始めたんだ、っていうことを伝えたくて。
で、シノくんが出てきて、ちょっと話したら意外とナイスガイで
握手してくれてなんかのイベントのフライヤーをくれた。
そしてこのSINOくん、走りがすさまじい。
東京都心部で動く物体の中で一番カッコイイ動きをしていたのは
間違いなくSINOくんだった。
遠くにいてもすぐにカレだったわかるカレの走り。
そんなとこ走っちゃうんだwww、え、そこ行っちゃうの?www的なw。
鬼のように力強い走りで、燻し銀なしヴい安定した高速走行なんだけど
一歩間違ったら確実に死ぬっていうあやうさを持つ、
なんとも言えない魅力的な走りをしてたのは、カレだけだった。
この3台はクーリエのパイセン連中。
上からホーリーパイセン、マリアッチパイセン、で、サトシくんの当時の愛車。
みんなあたりまえのようにノーブレだった。
1日中走り回って、時には一日の走行距離100キロから150キロぐらい
走らされる彼らなんだけど、そんなカレらが乗るピストにはブレーキなんてものは付いてなかった。
走りと体力、テクと自信がなかったらそんなんやってられないw。
いまでも思うんだけど、ピストにブレーキ付いてたら
ベツにピストじゃなくてもいいじゃん、って
道交法がどーだとかヒトに怒られようがおまわりに目を付けられようがなんだか知らないけど、
ピストっていったらそういう乗り物なんだっていうのは
カレらを見てて心底思った。
イヤだったら乗らなきゃいいだけ、コワイんだったらブレーキ付ければいいだけ、
でもそんなのおれには関係ねえ。
チョッパーっていう乗り物にものすごい似てるとこがあるよね。
そんな当時のおれの愛車。
完全にナメきってたwww。
わけーし痩せてたしギラついてたwww。
まだまだメッセンジャーのときに撮った写真が
500枚以上あるんだよな。
またヒマなときポチポチとうpしやす。
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