2015-01-06

衣笠開キ町

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産経ニュース 2015年1月5日07時59分

「昭和28年にダムが建設された直後から川べりに在日韓国人や在日朝鮮人らが住む集落がつくられていた」 「住民側の一部は『50年近く暮らしている』『なぜ今さらそうなるのか』と反発」



むかし自分は写真を撮ることにどっぷりハマってた時期がありまして、
興味があった被写体というのは
朝鮮部落、俗に言うところのチョンブラだったり、
穢多非人が住まされていた被差別部落の
風景画を撮ることだったんです。
歴史的意味合いの深いその土地の負のオーラの佇まいや
朝鮮部落独特の青トタンのバラックのなかに
ひとりで潜入して写真を撮るあのドキドキ行為に
ほんとヤラれまくってた時期がありました。

だいたいなんでチョンブラが川沿いや崖下にあるかというと
部屋を借りれないっていう理由がでかかったそうで。
だからヒトが住みたがらないキケンな土地に住まざるを得ないらしい。
そんなヒトが住みたがらないキケンな土地、
親がコドモにあそこの地区のコとは遊んではいけない、とむかしから言われてる土地を
見に行ったりするのがなぜかもうほんとダイスキで。
ゲスい趣味だし、差別意識まる出しなのかもしれないけど
はっきしいってヒトにどう思われようがどうでもいい、
趣味っていうのはそんなもんだとおれは思うから。

チョンブラ行くと、その地区内にお住まいになられてる人たちっていうのは
ほぼ高齢者。おじいちゃんおばあちゃんばっかだという印象。
若いコらはオトナになるとすぐに地区を離れちゃうんだろうなきっと。

一度じぶんひとりで足を踏み入れた部落は
なんだか知らないけど、愛着みたいなものがある。
思い出深いんだよな。つり橋効果みたいなものかな。
家の中からだれかおれのことをジッと見てるんじゃないか、
発狂した朝鮮ジジイがナタとかカマ持っておれに襲いかかってきたらどうしよう、
そんなことを考えながらドキドキしながら歩いてた。
だからよく覚えてるんだよなそのときのことが。

この、京都にある崖下部落は
おれのダイスキな朝鮮部落なんだな。
だいたい朝鮮部落っていうのは普通の家が立ち並ぶ土地よりも
低いところにあるから、トタンのバラックを眼下に見下ろすと
そこだけ異質なオーラを放ってる。
ここもそんなカンジ。
そして、自分の目の前にある地区にはどこから入ればいいのか、
よくわからない。
ここの入り口は、家と家との隙間、人がひとり通れるような狭い路地を
奥にずんずん進んでいくと、階段があった。
そこにたどり着くまで、ちょっとウロウロしちゃったもんな。

ここに住んでるおじいちゃんおばあちゃんたちはどうするんだろうな。
もう後先長くないだろうから、ゆっくりと余生をここで過ごさせてやればいいのに、
とも思う。

郷に入ったら郷に従え、っていう協調性みたいなものがたぶんないんだろうっていう
在日朝鮮人っていうのはみんなから嫌われるんだとも思う。
税金も払わないで不法占拠してるんだもんな。
多摩川の古紙回収業者もきっとそんなんだろうな。
そのくせおれが敷地内に入ると、監視カメラから見てたのか
おっさんがすっ飛んできて怒るんだよなおれのこと。
まじめに働いて暮らして国に税金を納めてる一般市民は
堂々と不法占拠してる地区に対してなにかしら思うことはあるだろうな。

その土地にたいしていろんな思想だかが交差するような地区っていうのは
ほんとなんか特別な存在だな。
こうしてまた戦後の日本を象徴するような朝鮮部落が
またひとつ消えていくのかと思うと、せつない。





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