TD04と呼ばれる朝鮮部落に足を踏み入れたのは2004年の暮れだった。
風がとても強い夜で、背の低いトタンの家の屋根が
風で暴れてバタンバタン、いや、バッタンバッタンっていう音とともに
いつ自分の頭にすっ飛んでくるのかわからない恐怖とともに、
土手下の町をひとりで探索することに。
ヒトの気配がパねえ。
生活感がすごいときのTD04。
TD04。そこは、全国の路地裏ファンには伝説的な地区。
おれらは場所を特定されないようにするために
地区を表示するときは暗号みたいにしとる。
この朝鮮部落の並びには高層マンションが立ち並んでる。
高層マンションのすぐとなりには、下水道も整備されていないような
被差別部落の地区。
「あそこに行ってはいけません」と自分のこどもに教えるような
そういう地区。
おれは、そーゆーとこに行くのが大好きで、
それが差別なのか知らんけど、そういう地区の中を写真に撮ることが
趣味というか悪趣味というか。
中から漏れてくるテレビの音がでけえ。
町のヒトの憩いの場、「よりみち」。
一度Hさまに連れてってもらったことがあるw。
ママがかわいかったなw。
座敷に通してもらって、ガタガタした窓を力入れてコジ開けると
目の前が多摩川。河川敷にある町だから、窓をあけると、ほんと、「目の前」が多摩川。
いい風が入ってくる。
ビールが運ばれてきたんだけど、もちろん常温w。まったく冷えてないw。
テレビがあって、ワールドカップサッカーをやってた。
ママと、お客さんのおばちゃんがふたり話してる。
「きょうは勝つかしらね~。。。」
「日本、強いからねえ~。。。」
日本VS北朝鮮戦だった。
でてきたチャーハンと牛スジ、うまかったっす。
ビールで酔っ払って、気分よく、ホナマタきやす!と行って
よりみちを後にしたおれらご一行様。
街灯がまったくない、トタンの家の間の砂利道ストリートを歩いてると
まっくらな通りの後ろの方から
「もとやんさ~ん。。。もとやんさ~ん。。。」って呼ぶ声が聞こえる。
ママだ。
「携帯電話、忘れていきましたよ~。。。」
おおお。おれ、すぐ、携帯放置しちゃうから。。。
どうもありがとうございました!
ママ、またよりみちしやすwww(^^)
「はい、またぜひ来てくださいね~w(^^)」
ん~かわいい朝鮮ママだ。。。
また行こう。
それがよりみちに行った最初で最後、ママのことを見たのもそれが最初で最後でした。
その後TD04のスーパー堤防建設のための立ち退きが進み、
町がほとんどなくなった。
その立ち退き騒ぎのとき、一番最初に立ち退いたのが
よりみちのママだったというのはあとから知った。
都内でこんだけラジカルな場所は他におれは知らない。
すばらしい裏道。これぞバックストリート。
「抜けられます」
朝鮮総連の支部があった。
この看板、TDが潰れるとき、おれが欲しかったなあ。
2005年の秋には、もうこの町並みはほとんどなくなった。
町がなくなった後も、教会は残ってる。
当時、うちの長男坊といっしょに遊んでて、やつの前歯を折っちゃたことに
罪悪感を感じておれは多摩川を走ってこの教会に懺悔でもしようとおもって
来たことがある。
牧師さんの孫さんの奥さん。
朝鮮なまりのたどたどしい日本語で聖書をお読みになってた。
おれはクリスチャンじゃないので、内容はまったくわからん。
でもこの日はニワカクリスチャンにでもなって、
聖書をいっしょに眺めてた。わからんかったけど。
日曜の参拝に来てるおかあさんとこどもたちは
みんな、なんか、こ、安らいでる風に見えた。
日ごろの苦労をここで癒してるような。
みんな、なんか、こ、安らいでる風に見えた。
日ごろの苦労をここで癒してるような。
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